2019年09月08日

香港行政長官、逃亡犯条例を撤回へ 香港紙報道

※アジアの多くの国の財閥や政治家が福建省出の客家人である。
※原則漢民族であり、そのルーツを辿ると古代中国(周から春秋戦国時代)の中原や中国東北部の王族の末裔であることが多い。漢民族の中でも中原発祥の中華文化を守ってきた正統な漢民族である。
※歴史上、戦乱から逃れるため中原から南へと移動、定住を繰り返していった。移住先では原住民から見て“よそ者”であるため、客家と呼ばれ、原住民との軋轢も多かった。
※[香港]
李嘉誠・李沢楷:長江実業グループ(香港最大の財閥)の総帥・IT産業牽引(息子)
胡文虎・胡仙:タイガーバーム創設者/星島日報グループ創設者・現総帥(娘)

今の日本に必要不可欠な国士を生み出す真の”教育”を一日も早く取り戻す事


香港行政長官、逃亡犯条例を撤回へ 香港紙報道
中国・台湾
2019/9/4 15:32
2019年逃亡犯条例改正案
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林鄭月娥・行政長官の非公開会合の発言が報じられた=ロイター

【香港=木原雄士】香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(電子版)は4日、香港政府トップの林鄭月娥・行政長官が同日中に「逃亡犯条例」改正案の正式な撤回を発表する見通しだと報じた。林鄭氏は同日夕に親中派の立法会(議会)議員などと会合を開く予定で、撤回の意向を伝えるとみられる。報道を受け香港株式市場のハンセン指数は一時、前日比3%以上上昇した。
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【正式表明】香港行政長官、「逃亡犯条例」改正案を撤回
【香港=木原雄士】香港政府トップの林鄭月娥・行政長官は4日、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案を正式に撤回すると表明した。香港では改正案をきっかけに6月から大規模デモが続いており、一部の要求を受け入れて事態収拾を狙う。ただ、若者らの要求は政治改革にも広がっており、抗議活動が収束に向かうかは不透明だ。
林鄭氏は4日、テレビを通じて演説し「暴力は解決策にならない。争いを対話に置き換えて解決策を探そう」と述べた。改正案撤回のほか、政府と市民の対話の枠組みや、社会問題を討議する専門家の委員会をつくると表明した。
改正案を巡っては、中国共産党に批判的な活動家らの中国本土への引き渡しにつながりかねないとの懸念から市民が反発。6月以降、100万人を超える大規模デモが3回あった。林鄭氏は6月に条例改正を期限を定めず延期すると表明。7月には「条例案は死んだ」と発言したものの、立法会(議会)からの正式な取り下げは拒んでいた。
改正案の完全撤回はデモ参加者が求める「五大要求」の一つ。ただ、香港政府は事実上の改正断念を表明しており、実質的な効果は限定的とみられる。
林鄭氏は警察の暴力行為を調べる独立委員会の設置や、有権者が1人1票を投じる普通選挙の導入など他の要求は拒否した。若者らの間では、警察の厳しい取り締まりや市民に向き合わない政府の姿勢に不満がたまっており、デモが収まるかは不透明だ。
民主派の立法会議員は改正案撤回を受けて記者会見し「6月に撤回していればこんな事態にならなかった。市民の懸念はもはや改正案だけではない。完全な政治改革を求める」などと述べた。
香港株式市場では4日、政府が条例改正案を撤回するとの報道を受けハンセン指数が急反発した。過激なデモは企業の経済活動の打撃になっていた。デモが収束に向かうとの見方から投資家心理が改善した。ハンセン指数は前日比4%近く上昇して取引を終えた。
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条例改正案は刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡せるようにする内容。中国共産党に批判的な民主活動家の拘束や引き渡しにつながりかねないとして、6月上旬から大規模なデモが続いていた。林鄭氏は7月に「条例案は死んだ」と発言したものの、立法会からの正式な取り下げは拒んでいた。
条例案の完全撤回はデモ参加者が求める「五大要求」の1つ。ただ、香港政府は事実上の改正断念を表明しており、実質的な効果は限られる。デモ参加者の要求は警察の暴力行為を調べる独立委員会の設置や、有権者が1人1票を投じる普通選挙の導入などに広がっており、抗議活動が収束に向かうかは不透明な面もある。

【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景

ヘリエ・チュン、ローランド・ヒューズ、BBCニュース

香港の立法会(議会)に突入した市民が、議場内の壁にスプレー缶でスローガンを書き、備品を壊すなど、ここ数週間で抗議デモは激しさを増している。
警察とデモ隊との衝突は7月1日、香港がイギリスから中国に返還されて22年を記念する式典が開かれている最中、立法会近くで勃発した。
この抗議活動は表面上、犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案に反対するものだ。
だが、そこには改正案以上の理由がある。
何が起きているのかを知るには、数々の重要な、中には数十年前に端を発する文脈を見ていく必要がある。

香港は特別な場所
思い出して欲しいのは、香港が他の中国の都市と大きく違う場所だということだ。これを理解するには、歴史を振り返る必要がある。
香港はかつて、150年以上にわたってイギリスの植民地だった。香港島は1842年のアヘン戦争後にイギリス領となり、その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借した。
それからの香港は活気ある貿易港となり、1950年代には製造業のハブとして経済成長を遂げた。また、中国本土の政情不安や貧困、迫害などを逃れた人たちが香港に移り住むようになった。
99年の返還期限が迫った1980年代前半、イギリスと中国政府は香港の将来について協議を始める。中国の共産党政府は、返還後の香港は中国の法律に従うべきだと主張した。
両国は1984年に、「一国二制度」の下に香港が1997年に中国に返還されることで合意した。香港は中国の一部になるものの、返還から50年は「外交と国防問題以外では高い自治性を維持する」ことになった。
返還後の香港は香港特別行政区となり、独自の法制度や国境を持つほか、表現の自由などの権利も保障されている。例えば、中国国内にありながら1989年の天安門事件について市民が追悼できる、数少ない場所となっている。
……だが、状況は変わってきている
香港にはなお、中国本土にはない自由がある。しかし、それも徐々に減っていると指摘する声もある。
人権団体は、高等法院が民主派議員の議員資格を剥奪(はくだつ)したなどの事例を挙げ、中国政府が香港の自治に介入していると批判する。香港の書店員が次々と姿を消した事件や、ある富豪が中国本土で拘束されていることが分かった事件なども懸念を呼んでいる。
アーティストや文筆家は、検閲の圧力にさらされていると話す。英経済紙フィナンシャル・タイムズの記者が香港独立を目指す活動家を招いたイベントの司会をしたところ、香港への入国を拒否された。
もうひとつ問題となるのが、民主化だ。
香港政府トップの行政長官は現在、1200人からなる選挙委員会で選出される。この人数は有権者の6%に過ぎず、その構成はもっぱら中国政府寄りだ。
立法会の70議員全員が香港の有権者に直接選ばれているというわけではない。議席の大部分は、親中派の議員が占めている。有権者によって選ばれた議員の中には、忠誠の誓い(「中華人民共和国香港特別行政区への忠誠」というもの)を正しく述べることを拒否したり、「香港は中国ではない」と書かれた旗を掲げたりしたことで、議員資格を剥奪された者もいる。
香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法」では、行政長官は究極的にはこれよりも民主的な方法で選ばれるべきだとしている。しかし、もっと民主的な方法とはどうあるべきかについては、様々な意見がある。
中国政府は2014年、親中的な選挙委員会が選んだ候補者の中から有権者が行政長官を選ぶ案を発表したが、「見せかけの民主主義」だという批判が集まり、議会で却下された経緯がある。
基本法の期限が切れるのは28年後の2047年。それ以降に香港の自治がどうなるのかは不透明だ。
香港人は自分たちを中国人とは思っていない
香港に住む人の大半は民族的には中国人で、香港は中国の一部だが、香港人の大半は自分たちを中国人とは思っていない。
香港大学が行った調査によると、ほとんどの人が自分は「香港人」だと考えており、自分は「中国人」だという人はわずか15%だった。
この差は世代が若くなるほど大きくなる。2017年の調査では、18〜29歳の回答者うち自分は中国人だと答えたのはたった3%だった。

なぜ中国人だと思わないのかという質問には、自分たちは法的にも、社会的にも、文化的にも違うという答えが寄せられた。また、香港は150年もの間、中国とは切り離された植民地だったという事実も理由に挙がった。
さらに、近年では中国本土に対する反感が高まっている。失礼な中国人観光客が地元のルールを無視したり、観光客の増加で物価が上昇したことなどへの反発だ。
中国からの独立を訴える若い活動家もおり、これが中国政府を警戒させているようだ。
今回の抗議デモの参加者は、逃亡犯条例の改正案が通ってしまえば、中国政府による香港統治が迫ると考えている。
抗議運動に参加したマイクさん(18)はBBCの取材に対し、「この改正案が可決されれば、香港は他の中国の都市と同じになってしまう」と話した。
香港の人々は抗議の方法を知っている

2014年の反政府デモ「雨傘運動」は数週間続いた
2014年12月に発生した反政府デモ「雨傘運動」の残党を警察が排除した時、参加者たちは声をそろえて「私たちは戻ってくる」と宣言した。
実際、こうして抗議デモが再び行われていることは驚くに値しない。香港には抗議の歴史がある。それはここ数年という短い期間ではなく、もっと長い歴史だ。
1966年には、香港のヴィクトリア・ハーパーで運航されているスターフェリーの値上げをめぐって抗議デモが行われた。参加者はやがて暴徒化し、夜間外出禁止令が敷かれ、何千人もの警察官が街に配備された。
返還後の1997年以来、抗議運動はたびたび行われているが、最近では政治的なものほど規模が大きくなる傾向にあり、参加者と中国政府の間にあつれきが生まれている。
香港人はある程度の自治を持っているものの、選挙では自由が制限されている。デモは自分たちの声を聞いてもらう数少ない手段だ。
2003年には50万人が参加したデモで安全保障法案が却下された。普通選挙権を求めるデモや天安門事件の追悼集会は、毎年の恒例行事となっている。
2014年のデモは数週間にわたって続き、香港人が自分たちで行政長官を決める権利を求めていることが浮き彫りになった。しかし中国政府からの譲歩はなく、このデモも失敗に終わった。
posted by r at 11:18| Comment(0) | 情報