2019年08月12日

インドと日本寺(梨本徳彦)

2019年9月9日 台風15号千葉直撃(鋸南町も被害甚大、竜巻だった)

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2015年5月7日

鋸南町の観光名所、鋸山で事件が起きました。日本中で寺社仏閣に油のような液体がまかれる事件が起きていますが、一連の事件の延長でしょうか。

聖徳太子の石像壊れる 20代男女が走って逃げ去る? 千葉・鋸山の日本寺


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日本寺の聖徳太子の石像(鋸山日本寺のHPより)

7日午後4時半ごろ、千葉県鋸南町の鋸山にある日本寺で、参道脇の聖徳太子の石像(高さ約130センチ)が倒れて壊れているのに男性観光客が気付き、寺関係者が110番した。館山署が器物損壊容疑で調べている。

署によると、男性観光客は、参道脇の柵を乗り越えて石像に近づく男女を目撃。
目を離した後、石像の方から大きな音が聞こえたため再度見ると、男女が境内出口に向かって走り去っていくところだった。石像は台座から落ち、胸から上下二つに折れていた。

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(割れた聖徳太子像)

男性は身長約170センチでサングラス姿女性はピンク色のジャージーを着ていた。ともに20代後半とみられる。町教育委員会によると、参道には聖徳太子などの石像が多数あり、県文化財に指定されている。

聖徳太子の石像@日本寺@鋸山

採取された石材は、幕末から明治、大正、昭和にかけて、主に横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用された。また、靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されている。自然保護規制の強化により昭和57年を最後に採石を終了し、現在鋸山は観光資源として利用されている。

日本寺(にほんじ)は、千葉県安房郡鋸南町にある、曹洞宗の寺院。山号は乾坤山(けんこんざん)。本尊は、薬師瑠璃光如来。大仏(日本寺大仏)があることで知られる。
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基によって神亀2年(725年)に開山されたとされ、当初は法相宗に属していたという。

最盛期には七堂十二院百坊を有する規模を誇り、良弁、空海、円仁らが留錫(りゅうしゃく)したと伝える。良弁は木彫の大黒天を彫り、空海は100日間の護摩を焚き、石造の大黒天を彫り遺し、仁王門の金剛力士像は円仁の作とする伝承がある。

天安年間(857年 - 859年)、円仁が入寺して天台宗の寺院となったと伝え、その後、隆盛と衰退を繰り返したが、復興には源頼朝や足利尊氏の援助を受けたという。
真言宗を経て、江戸幕府三代将軍徳川家光の治世に曹洞宗に改宗した。幕府から朱印状を与えられていた。境内にある五百羅漢像(千五百羅漢)は、江戸時代後期にこの寺を復興した高雅愚伝(当寺第九世)が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものであり、約1,553体の石仏がある[1]。

明治に入り、神仏分離に伴う廃仏毀釈や1939年(昭和14年)の火災などにより、現在残る堂宇は仮本堂をはじめごくわずかとなっている。

1989年(平成元年)5月、インド国政府により、日印親善と世界平和を祈念して、釈尊成道の聖地、ブッダガヤの聖菩提樹(釈迦がこの木の下に坐して悟りを開いたと言われる)の分木が日本寺へ贈られ、大仏広場に植えられている。

インドと日本寺

インド・ブッダガヤの「聖菩提樹」の苗木が贈られ、1989年(平成元年)5月24日、関係者約400人が集まって、植樹記念法要が行われた。
この苗木は、先ごろ同寺を訪れたインド大統領特別補佐官のラーマ・ロブサング大僧正の仲介により、インド政府の特別のはからいで分木されたもので、海外に出るのは初めてと言われている。
また、苗木と一緒にアショーカ寺貫主から インドの国章となっている「四獅子像初転法輪石柱」(レプリカ)も寄贈され、大仏広場脇に建てられた。

この日の法要には、インド側からカイラス・アスラーマ在日大使夫人やラーマ大僧正、また同寺奉讃会の名誉総裁を務める元皇族の梨本徳彦、同理事長の安孫子藤吉元自治相、それに郡内の県議、町村議、地元関係者多数が参列。フェンスの囲いに護られた菩提樹と、その前に建立された石柱及び記念碑の除幕式も行われた。

聖徳太子の石像壊した容疑 18歳少女を書類送検 「大変なことをした」 /千葉
ちばとぴ by 千葉日報 7月16日(木)5時0分配信

 千葉県鋸南町元名の日本寺でことし5月、県の文化財に指定されている聖徳太子の石像1体が壊されているのが見つかった事件で、館山署は15日、器物損壊の疑いで東京都の無職少女(18)を地検木更津支部に書類送検した。少女は「つまずいて石像に手を掛けたら倒れてしまった。大変なことをした」と話しているという。

 書類送検容疑は5月7日午後、日本寺の参道脇にある石像(高さ約130センチ)を倒し、壊した疑い。石像は胸から上下二つに折れた。

 同署によると、少女は東京都の30代男性と同寺を訪問。参道散策中に石像を囲む柵の横から石像に近づいて写真を撮ろうとした際につまずき、石像がはめ込まれた台座の下の土台に手を掛けて落としてしまったという。石像は固定されていなかった。柵を越えて石像に近づくのは禁止されているという。

 2人は現場を立ち去ったが翌8日、館山署に出向いた。少女は「わざとではないが、やったことを反省しないといけないと思った」と話したという。同署は男性は損壊行為に関わっていないとして立件しなかった。

 県教育委員会によると、聖徳太子の石像は18世紀後半に作られた。日本寺の参道には石像が多数あり、県文化財に指定されている。寺は現在、業者に修復依頼中という。
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逮捕の竹田恒泰の従兄弟より悪質? 旧宮家の"権威"を利用したトンデモ事件簿! 竹田恒泰もマルチ商法関与
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0924/ltr_150924_6605365762.html

2019年9月24日(木)9時0分 


 先日、明治天皇の玄孫に当たる竹田恒昭被告が、大麻所持の疑いで現行犯逮捕されていたとのニュースが報道された。この竹田という苗字でピンとくる人も多いと思うが、竹田恒昭被告は日本オリンピック委員会(JOC)竹田恆和会長の甥で、ネトウヨのアイドル・竹田恒泰の従兄弟にあたる。

 旧皇族・竹田宮家をルーツにもつ男が、まさかの大麻取締法違反容疑で逮捕され世間に衝撃が流れた。

 しかし、旧皇族・旧宮家の人間にスキャンダルが流れるのは決して珍しいことではない。むしろ、考えようによっては、今回のような個人的な犯罪よりもっと悪質な、"旧宮家の権威"を悪用するような事件を頻繁に起こしている。

 竹田恒昭被告の従兄弟、竹田恒泰氏もそのひとり。ネトウヨ発言の数々や、華原朋美と元AKB48畑山亜梨紗との間で二股をかけていた醜聞でもおなじみの彼だが、過去にはのっぴきならないスキャンダルを二つも起こしている。

一つ目は、マルチ商法への関与。「FLASH」(光文社)2002年7月30日号によれば、彼はインターネットマルチ商法・スカイビズ2000に関わっていた。スカイビズ2000は、加入金110ドルを払えば自由に使えるホームページのスペースと、簡単にサイトが作れるソフトの利用権が得られるというサービスだが、新会員を勧誘すると、その数に応じて多額のボーナスを得られるとも喧伝しており、"ねずみ講"と指摘されていた。

竹田恒泰は旧皇族の出自を出すことで信用を得て、新規会員を次々と勧誘していった。そのためのミーティングを東京のみならず全国各地で行なっていた事実も報道されていた。

ちなみに、スカイビズ2000を展開していたスカイビズ社は、01年に米国連邦取引委員会からねずみ講にあたるとして提訴され実質破綻している。

二つ目はもっと事件性の高いもの。彼の祖母・松見イクが経営していた精神病院・松見病院の多額借金をめぐるトラブルである。松見病院の経営陣のひとりでもあった竹田恒泰氏は、この件をめぐる借金の保証人となっており、東京地裁で1200万円および13年6月24日から年5分の利息の支払い命令を受けた。その経緯について、「週刊文春」14年10月16日(文藝春秋)で、原告の男がこのように語っている。

「知人から金を貸してくれという話があったのは去年2月のことでした。聞けば、"病院の売却話が進んでいる。ついては、つなぎ資金が必要で、融通してもらえないか"という話でした。それが1200万円だったのです。大金なので躊躇していると、今度は竹田さんを"保証人"につけると言う。本人にも会いましたが、なにせ明治天皇の玄孫というから信用するでしょう。大丈夫だろうと考えて知人に1200万円を貸すことにしたんですよ」

 歴史を紐解いていけば、こうした"旧皇族""旧宮家"としての名を使った詐欺まがいの行為が、枚挙に暇がないほど大量に存在するのだ。

 その前に、"旧皇族""旧宮家"とは何かを、簡潔に解説しておこう。

"旧皇族""旧宮家"とは、戦後GHQにより特権を享受している宮家の縮小を求められ皇籍離脱した11宮家のこと。これにより1947年、秩父宮、高松宮、三笠宮のみを宮家に残し、山階宮、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮、北白川宮、伏見宮、閑院宮、東伏見宮の11宮家51人が一般人となっている。

 彼らは皇籍離脱し、自分の食い扶持を自分で稼がなければならなくなったわけだが、多くの旧宮家はこれまで同様の華美な生活を維持するために、大量の資産を元手に商売を始める。その過程で怪しげな人物に騙される人が後を絶たなかった。

 牧場経営や菊の紋章を入れた"久邇香水"の製造販売、ダンスホール経営などに手を出し失敗した久邇宮家。そして、禅宗の僧を名乗る人物にカモにされ食料品店、喫茶店、骨董屋を開きすべて潰した東久邇宮家。東久邇稔彦にいたっては、最終的に、"ひがしくに教"なる新興宗教の教祖に祭り上げられるも、元皇族が宗教を興すのには問題があるとして宗教法人として認められず解散する騒動まで起こしている。

 そんな戦後と皇籍離脱のゴタゴタのなか起きたのが、東伏見宮家の150万円詐欺事件だ。「真相」(人民社)1949年8月号には、観光事業に手を出すも放漫経営により資産を食い潰し、明治時代にジョージ5世の戴冠式で使用した王冠を売りに出すことになった経緯や、不渡手形を濫発し告訴された事実が記されている。

 こうして凋落していった家の多い旧宮家だが、高度経済成長期には皇族としての名を商売道具に使う者も登場する。その例が、賀陽宮家の賀陽邦寿である。「産経新聞」76年12月20日夕刊には、以下のような記事が載っている。

〈「名誉売る"民間勲位"」「ああ、ありがたやと五千人」
 賀陽邦寿が会長を務める「日本経営功労顕彰委員会」という団体が、二万八千円から六万八千円を支払った中小企業経営者に「功五等位」から「功一等位」まで与えていた。厳密に言えば詐欺事件ではないが、総理府賞勲局がこれを問題視し、調査に乗り出した〉

 また、賀陽邦寿はこの後、彼が会長を務める「時事新聞社社会事業団」という団体が全国の中小企業の社長や商店主に菊の紋章入り「経営褒華賞受賞資格推薦書」というものを送っていたことも公になっている。こちらも、受賞するためには一律5万円が必要であったという。

 このように、旧宮家の人物がトップにいる団体が"賞"を送り、その代わり金銭が必要になるという商売を行なったのは賀陽邦寿だけではない。
 
 日本文化振興会なる団体の名誉総裁であった、梨本宮の梨本徳彦も同じようなビジネスに手を染めていた。こちらも、表彰にあたって、対象者から多額の礼金を募るシステムは同じ。「週刊新潮」(新潮社)85年8月15日・22日合併号では、受賞にあたり50万円ものお礼金を出すよう仕向けられたとの証言が臨済宗妙心寺派興禅寺の住職からなされている。

 この詐欺まがいの商法は長く続けられているようで、「週刊新潮」2012年3月15日号に掲載されている、作曲家・青島広志による連載コラム「ブルー・アイランド氏のクラシック漂流記」にはこんな記述が出てくる。ちなみに、01年から、この団体の名誉総裁は、伏見宮家の伏見博明になっている。

〈日本文化振興会というところから連絡があって、あなたに賞を差し上げることになりましたと言われたら、喜ぶべきなのだろうか。(中略)箔押しの封筒が届いた。授賞式の知らせかと思って開けると、これが驚いたことに寄付金の要請なのである。曰く「民間の国際文化交流団体であり、会員や受賞された各先生方のご協賛を頂き運営」しているのだそうで(中略)しかも念の入ったことに「平均的な協賛金は50万円となっておりますが、ご事情もあるかと思いますので、一括でなくとも可能でございます」と書かれており、封筒の中を見ると、何と大手有名銀行銀座中央支店の口座を記した用紙までが入っていた〉

また、話は梨本徳彦に戻るが、彼は日本文化振興会の名誉総裁を退いた後も詐欺まがいの報道にたびたび登場する。

「FRIDAY」(講談社)04年3月5日号では、元本保証と高配当を約束して焼却炉販売事業への出資を募り約1000人から10数億円を集めたものの、配当未払いを理由に詐欺や出資法違反容疑で警視庁に告訴されたNPO法人・やまびこ会の名誉総裁に梨本宮家・梨本徳彦の名前があったと報じられた。このNPO法人をめぐる一件では、法人の代表理事ら4名が詐欺容疑で逮捕されるという事態にまで発展している。

また、その2年後、「週刊新潮」06年2月23日号では、伊勢神宮の灯籠を建て替えるとウソの話を出し寄付を募っている団体の名誉総裁に、またしても梨本徳彦の名前があったとの報道がなされた。

 03年、すでに断絶している有栖川宮家を騙る、自称・有栖川識仁が結婚式の祝儀を騙し取った事件を覚えている読者も多いと思う。この事件は、皇室の権威を利用して金品を騙し取るべく、何の関係もない人間が皇族を騙った事件だが、すべての旧宮家がそうだとは言わないまでも、ここまでご紹介してきて分かる通り、実際の旧宮家もやっていることはさほど変わらない。"皇室の権威"を利用して悪辣な商売をしている点では同様である。

 本稿前半でご紹介した作家の竹田恒泰は、皇室典範をどのように変えていくかの議論のなかで、女系天皇を認めるのではなく、皇籍から離脱した旧宮家を復活させたらどうかと主張している。彼自身、竹田宮家の名を掲げているなかでの発言だが、それに関して、小林よしのりは「SAPIO」(小学館)10年3月31日号掲載「ゴーマニズム宣言スペシャル 天皇論 追撃篇 旧宮家復活なんてありえるか?」のなかでこのように批判を加えている。

〈現在、「旧皇族」はもういない。旧皇族で「俗界」に降りた人々を「俗界一世」とすれば、今生きているその子孫は「俗界二世・三世」だ。それを今になって、これら旧宮家の末裔を再び皇族になどという妄想を本気で信じているのが現在の男系絶対主義者だ。そもそも、旧皇室典範で伏見宮系皇族は邦家親王の4世子孫を最後に消滅することになっていた! その4世子孫とは、現在60〜70代の当主にあたる。「男系絶対主義者」たちが期待をかける竹田恒泰らの世代は5世である。要するに彼らの言う「GHQの陰謀」がなくても、旧皇室典範の下でも彼らの世代は皇族ではなく、臣籍降下させられる身分だったのだ! さらに竹田恒泰についていえば、彼の父・恒和氏は竹田家の三男なので、父の代で臣籍降下していたはずである。仮に時代がどう違っていても、彼が皇族だった可能性は全くないのだ!〉

「正論」(産経新聞出版社)06年2月号で、「DIME」(小学館)デスクの今井康裕は「民間の経験をされた旧皇族の方が皇室に入ることこそ、新しい風ではないかな」というコメントを寄せているが、こういった意見が「男系絶対主義者」たちの主張だ。

しかし、小林よしのりの語るような旧皇室典範と照らし合わせても彼らに皇族を名乗る資格がないという問題に加え、彼らの主張の拠り所である「民間の経験」というのも、本当に価値のあるものなのかは疑問だ。皇室の権威を悪用する術を一般社会で学んできたような人が宮家に戻ることが、本当に皇室を良い方向に導く策なのだろうか? 紹介してきたようなスキャンダルを見る限り、正直、それが正しいとは全く思えないのである。
(井川健二)
posted by r at 08:26| 備忘録