2019年07月10日

怨念は続くよ何処までも(千年王国への怨念)

怨念は続くよ何処までも エッサイ → ダビデ → ソロモン → イエス・・・・→ マウントバッテン

2013/10/21 16:03

日本語Wikipediaでは、途中で両親の記述が途切れてしまい、英語版Wikipediaに切換えても、せいぜいAC500年ぐらいで途切れてしまい、最終的に英語のサイトを探しまわり、父方、母方の分かれ道を慎重に選びながら調査しました。

結局は王族はすべて聖書に辿り着くという結果に、馬鹿馬鹿しくなってしまいましたが・・・

ショッカーのアジトはロンバルディア 聖書は王族のルーツ証明書】で書ききれなかった部分を書かせていただき、これ以上の追求は止めることにします。

お暇があれば皆さんもやってみてください。
突然ですが・・・

エッサイ 【Jesse 英・仏】

『旧約聖書』に出てくるダビデ王の父。一二〜一六世紀西欧で行われたイザヤの預言図像に、エッサイの腹から木が生え、枝に二六人のユダヤの王が配され、頂上に七羽の鳩(聖霊の七つの賜を示す)に囲まれた聖母子像を置く図があるが、これはキリストがマリアを通じてダビデのすえに連なるとされた考えを図示したものである。

「主是くの如く言ふ、イエッセイの根より芽は出で、其根より枝は生ぜん。主の神は彼に止まらん。」(パレミヤ:イサイヤの預言書の読。十一章)。

日本語ではエッサイと発音しますが、英語ではJESSE。
Jという文字は、「へ」と発音する言語が多く有ります。
発音は、ヘッセ(HESSE)。
ヘッセンカッセルのヘッセンという家名も最初はヘッセです。


さて、イギリス王家、エジンバラ公マウントバッテンの父方のヘッセンの家系を主に辿ってみました。

ドイツのヘッセン家系はブラバント、ゴドフロア、レジナーというフランス、ベルギーの家系に辿り着き、ピピン、カルロマンと繋がります。

また、別の先祖はやはりフランク王国の歴代王であり、また、その前の時代ではグレートブリテンの歴代王です。

されに紀元前にまで遡ると、古代イスラエル王国まで繋がります。

その後は聖書の世界ですね。

聖書が作られた目的が分かってきました。
ヨーロッパの王家は選ばれた者たちの子孫である。
このシステムを何千年も続けて来たのですから、ある意味、頭が下がります。
で、これはヨーロッパに限ったことではなく、日本の天皇家も同じであるということです。

日本は和風キリスト教国家である事はもうお分かりでしょうが、ヨーロッパ王家と同じく、隠れ封建制度が健在です。

そして、国民は天皇陛下の為に命を無駄にした時代が有り、現在でも天皇家を無心に崇拝しています。
その天皇家は日本人では有りません。
戸籍が無いからという理由ではなく、伊勢神宮の奥では、今でもダビデの祭壇で行われていたのと同じ儀式をやっている家系なのです。

マウントバッテンの父方の系図を下記に示します。
途中で、必要と思われる箇所に注釈を挿入する形式で話を進めて行きますが、ヘッセンカッセルに関してはこのブログの他の記事に書いてますので割愛します。


Philip Mountbatten , Duke of Edinburgh, b.10 JUN 1921
      |
Prince Andrew of Greece And Denmark, b.2 FEB 1882
      |
George I of Greece, b.24 DEC 1845
      |
Christian IX of Denmark, b.8 APR 1818
      |
Princess Louise Caroline of Hesse-cassel, b.28 SEP 1789
      |
Karl of Hesse-Kassel, b.19 DEC 1744
      |
Friedrich II of Hesse-Kassel, b.14 AUG 1720
      |
Wilhelm VIII of Hesse-Kassel, b.10 MAR 1682
      |
Karl of Hesse-Kassel, b.3 AUG 1654
      |
Wilhelm VI of Hesse-Kassel, b.23 MAY 1629--Hedwig Sophia of Prussia, b.1623
      |
William V of Hesse-Kassel February 13, 1602 – September 21, 1637
      |
Maurice of Hesse-Kassel 25 May 1572 – 15 March 1632
      |
William IV of Hesse-Kassel 24 June 1532 – 25 August 1592
      |
Philip I of Hesse, 13 November 1504 - 31 March 1567
      |
William II Landgrave of Lower Hesse 29 April 1469 – 11 July 1509
      |
Louis II of Hesse 7 September 1438 – 8 November 1471
      |
Louis I of Hesse 6 February 1402, Spangenberg - 17 January 1458
      |
Hermann II of Hesse Landgrave of Hesse 1341 – 24 May 1413
      |
Louis the Junker of Hesse 1305 – 2 February 1345
      |
Otto I of Hesse 1272 –17 January 1328
      |
Henry I of Hesse "the Child" 24 June 1244 – 21 December 1308
      |
Henry II of Brabant 1207 – February 1, 1248 フランス ブラバント
      |
Henry I of Brabant 1165 – 5 September 1235 フランス ブラバント

ブラバント公国が公式に成立したのは1183年から1184年である。ブラバント公の世襲称号は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がブラバント公アンリ1世(下ロタリンギア公ゴドフロワ3世・ド・ルーヴェンの息子)のために創設した。ブラバント公国として相当する国は全く小さく、ドンドル川とゼンヌ川の間の領土に限定されたけれども、ブリュッセルの西に位置し、その国名は13世紀以降公爵の管理下で国全体に適用されることになった。

      |
Godfrey III (1142 – died 21 August 1190 ゴドフロア フランス ブラバント
      |
Godfrey II (c. 1110 – 13 June 1142 ゴドフロア フランス レジナー
      |
Godfrey I born 1060, dead 25 January 1139 ゴドフロア フランス レジナー
      |
Henry II Count of Louvain (Leuven) from 1054 through 1071? レジナー
      |
Lambert II Count of Louvain between 1033 and 1054 レジナー
      |
Lambert I of Louvain 950ー September 12, 1015 ベルギー レジナー
      |
Reginar III 920 – 973 Count of Hainaut  ベルギー レジナー
      |
Reginar II 890–932 Count of Hainaut
      |
Reginar I Longneck  Duke of Lorraine 850 – 915
      |
Gilbert (Giselbert), Count of Maasgau 


ここから先は不明につき、配偶者の先祖をトレース
      
Princess Ermengarde of Italy b.est 828
      |
Lothair I Emperor of the Romans 795 – 29 September 855
      |
Louis the Pious King of Aquitaine. King of the Franks and co-Emperor 778 – 840
      |
Charlemagne 742 – 28 Charles the Great Charles I, was the King of the Franks

カール大帝(カールたいてい、742年4月2日 - 814年1月28日、アーヘン)は、フランク王国の国王(在位:768年 - 814年)。カロリング朝を開いたピピン3世(小ピピン)の子で、カール1世とも言う。768年に弟のカールマンとの共同統治(分国統治)として彼の治世は始まったが、カールマンが771年に早逝したため、以後43年間、単独の国王として長く君臨した。800年には西ローマ皇帝(フランク・ローマ皇帝、在位:800年 - 814年)を称したが、東ローマ帝国はカールのローマ皇帝位を承認せず、僭称とみなした。

      |
Pepin the Younger 714 – 768 Pepin the Short, King of the Franks
      |
Charles Martel 688 – 22 October 741
      |
Pepin 635 – 16 December 714 Pepin of Herstal
      |
★Saint Begga 615 – 17 December 693ーーAnsegisel 602 or 610 – murdered 679 or 662
      |
Pepin of Landen 580 – 27 February 640
      |
Carloman Mayor of Austrasia, b.abt 0550
      |
Charles de Brabant, b.abt 0525
      |
Carolus IV De Hesbaye b.abt 480
      |
Austrapius De Hesbaye b.abt 440
      |
Lando De Hesbaye b.abt 420

ここから先は不明なので、★Saint Begga 615 – 17 December 693まで戻ります。

★Saint Begga 615 – 17 December 693
      |
Itta of Schelde, b.0597
      |
Arnoldus Bishop of Metz, b.abt 0540
      |
Ansbertus of the Moselle, b.abt 0506
      |
Ferreolus Duke of the Moselle, b.abt 0465
      |
Sigimerus I Bishop of Auvergne, b.abt 0419
      |
Clodion "the Hairy" King of France, b.0395
      |
Pharamond King of France, b.abt 0370
      |
Marcomir King of the East Franks, b.0347
      |
Clodius King of the East Franks, b.0324
      |
Dogobert King of the East Franks, b.abt 0300
      |
Genbald I King of the East Franks, b.0277
      |
Dagobert I King of Franks, b.abt 0257
      |
Walter King of the Franks, b.abt 0237
      |
Clodius III King of the Franks, b.BEF 0217
      |
Bartherus King of the Franks, b.abt 0197
      |
Hilderic (Childeric) King of t Franks, b.BEF 0177
      |
Sunno (Huano) King of the Franks, b.abt 0157
      |
Farabert King of the Franks, b.0135
      |
Clodomir IV King of the Franks, b.abt 0129

ここで男性のMarcomir IV King of the Franks, b.abt 0110ではなく、

女性のAthildis Princess of the Britains, b.abt 0115 を辿ります。
      |
Coel King of Colchest, b.abt 0094
      |
◎Meric Marius King of Britain, b.abt 0050
      |
Venissa Julia of Rome, b.abt 0020
      |
Claudius Caesar Emperor of Rome, b.abt 0010 BC
      |
Antonia Augusta the Younger, b.0036 BC
      |
Octavia "the Elder" of Rome, b.abt 0069 BC
      |
Atia Balbus of Rome, b.BEF 0085 BC
      |
Julia Caesaris, b.abt 0101 BC ジュリアス・シーザーの妹
      |
Gaius Julius Caesar III, b.0135 BC
      |
Gaius Julius Caesar II, b.abt 0154 BC
      |
Gaius Julius Caesar I, b.abt 0175 BC
      |
Lucius Julius Caesar, b.abt 0200 BC
      |
Sextus Julius Caesar I, b.abt 0225 BC
      |
Lucius Julius Caesar I, b.0250 BC
      |
Numerius Julias Caesar, b.abt 0275 BC
      |
Lucius Julius Libo, b.abt 0300 BC

ここで行き詰まるので◎Meric Marius King of Britain, b.abt 0050まで戻ります。

Meric Marius King of Britain, b.abt 0050
      |
Arvigarus Gweinivyth, b.abt 0015
      |
Cymbeline of Britain, b.abt 0020 BC
      |
Tenuantius of Britain, b.abt 0060 BC
      |
Lludd (Lud) King of Britain, b.abt 0107 BC
      |
Anna of Arimathaea
      |
Joseph Arimathaea, b.abt 0047 BC

アリマタヤのヨセフ(アリマフェヤの義人イオシフ)は、新約聖書に登場するユダヤ人。イエスの遺体を引き取ったことで知られる。日本正教会では現代ギリシャ語・教会スラヴ語からアリマフェヤのイオシフと転写される。正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。正教会では七十門徒に数えられている。

すべての福音書にはアリマタヤ出身のヨセフなる人物がピラトに願い出て、イエスの遺体をひきとって埋葬したことが記述されている。彼がどんな人であったかは福音書によって異なっており、マタイは「金持ちでイエスの弟子」[1]といい、マルコは「身分の高い議員」[2]、ルカは「神の国を待ち望んでいた」「善良でただしい人」[3]、ヨハネは「イエスの弟子でありながらユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」[4]人物としている。

いずれにせよ、弟子すらも逃げ出した状況で、あえてアリマタヤのヨセフがイエスの遺体の引取りを申し出たということは四福音が一致して記しているところである。イエスは彼によって墓(この時代は洞窟)に亜麻布で巻かれ、香料と共に葬られた。

西ヨーロッパ中世の伝承では、聖杯伝説と結び付けられ、彼が十字架のもとでイエスの血を受けた聖杯を持ってイギリスに渡ったとされていた。

キリスト教の聖人であり、正教会では7月31日、カトリック教会では3月17日に祝われている。

      |
Matthat ben Levi, b.abt 0067 BC
      |
Levi ben Melchi, b.abt 0087 BC
      |
Melki ben Joseph, b.abt 0107 BC
      |
Jannai ben Joseph, b.abt 0127 BC
      |
Joseph ben Mattathias, b.abt 0147 BC
      |
Mattathias ben Amos, b.abt 0246 BC
      |
Amos ben Nahum, b.abt 0260 BC
      |
Nahum ben Esli, b.abt 0290 BC
      |
Esli ben Naggai, b.abt 0320 BC
      |
Naggai ben Maath, b.abt 0350 BC
      |
Maath ben Mattathias, b.abt 0387 BC
      |
Mattathias ben Semel, b.abt 0407 BC
      |
Semein ben Joseph, b.abt 0427 BC
      |
Joseph ben Judah, b.abt 0447 BC
      |
Joda ben Joanna, b.abt 0467 BC
      |
Joanna ben Rhesa, b.abt 0487 BC
      |
Rhesa ben Zerubbabel, b.abt 0507 BC
      |
Zerubbabel ben Shealtiel, b.abt 0544 BC
      |
Shealtiel ben Neri, b.abt 0580 BC
      |
Neri ben Melchi, b.abt 0660 BC
      |
Melki ben Addi, b.abt 0620 BC
      |
Addi ben Cosam, b.abt 0640 BC
      |
Cosam ben Elmadam, b.abt 0660 BC
      |
Elmadam ben Er, b.abt 0680 BC
      |
Er ben Joshua, b.abt 0700 BC
      |
Joshua ben Elizer, b.abt 0720 BC
      |
Eliezer ben Jorim, b.abt 0740 BC
      |
Jorim ben Matthat, b.abt 0760 BC
      |
Matthat ben Levi, b.abt 0780 BC
      |
Levi ben Simeon, b.abt 0800 BC
      |
Simeon ben Judah, b.abt 0840 BC
      |
Joseph ben Jonam, b.abt 0860 BC
      |
Jonam ben Eliakem, b.abt 0880 BC
      |
Eliakim ben Melea, b.abt 0901 BC
      |
Melea ben Menna, b.abt 0922 BC
      |
Menna ben Mattatha, b.abt 0943 BC
      |
Mattatha of Judah, b.abt 0964 BC
      |
Nathan of Judah, b.abt 0989 BC ダビデの息子ソロモンの兄弟

古代イスラエル・ユダの王の系図を挿入しておきます。

イスラエル王国

サウル前1000-前961 / イシュ・ボシェテ前1000 / ダビデ前1000-前962 / ソロモン前962-前922 / レハブアム前922

ユダ王国

レハブアム前922-前915 / アビヤム前915-前913 / アサ前913-前873 / ヨシャファト前873-前849 / ヨラム前849-前842 / アハズヤ前842 / アタルヤ前842-前837 / ヨアシュ前837-前800 /アマツヤ前800-前783 / ウジヤ前783-前742 / ヨタム前742-前735 / アハズ前735-前715 / ヒゼキヤ前715-前687 / マナセ前687-前642 / アモン前642-前640 / ヨシヤ前640-前609 /エホアハズ前609 / エホヤキム前609-前598 / エホヤキン前598 / ゼデキヤ前597-前587

北イスラエル王国

ヤロブアム1世前922-前901 / ナダブ前901-前900 / バシャ前900-前877 / エラ前877-前876 / ジムリ前876 / オムリ前876-前869 / アハブ前869-前850 / アハズヤ前850-前849 /ヨラム前849-前842 / イエフ前842-前815 / ヨアハズ前815-前801 / ヨアシュ前801-前786 / ヤロブアム2世前786-前746 / ゼカリヤ前746 / シャルム前745 / メナヘム前745-前738 /ペカフヤ前738-前737 / ペカ前737-前732 / ホセア前732-前722

ハスモン朝

アリストブロス1世前104-前103 / アレクサンドロス・ヤンナイオス前103-前76 / サロメ・アレクサンドラ前76-前67 / ヨハネ・ヒルカノス2世前67-前66 / アリストブロス2世前66-前63 /ヨハネ・ヒルカノス2世(復位)前63-前40 / アンティゴノス前40-前37

ヘロデ朝

ヘロデ前37-前4 / アグリッパ1世34-44 / アグリッパ2世44-100?

以上は、ソロモンの子、レハブアムがイスラエル王国から分離したユダ王国の系図です。

話をダビデに戻しますが、ダビデの前の王、イシュ・ポシュテは親子関係ではありません。

ダビデの親はJESSE、つまり、エッサイです。

      |
David King of Judah, b.abt 1041 BC
      |
Jesse Nahash, b.bef 1110 BC

エッサイの先祖は下記のように遡る事が出来ます。

      |
Obed of Bethlehem, b.1180 BC
      |
Boaz of Bethlehem, b.bef 1250 BC
      |
Salmon ben Nahshon, b.bef 1400 BC
      |
Nahshon ben Amminadab, b.bef 1450 BC
      |
★Amminadab ben Aram, b.bef 1550 BC
      |
Kiya Tasherit
      |
Moses of Egypt, b.abt 1541 BC

モーゼの両親、父アムラムと母ヨケベドで行き着いてしまうので★まで戻ります。

Amminadab ben Aram, b.bef 1550 BC
      |
Ram of the Old Testament, b.bef 1650
      |
Hezron of the Old Testament, b.abt 1715 BC
      |
Barayah of the Old Testament
      |
Jacob (Israel) of the Old Testament, b.abt 1890 BC
      |
Isaac of the Old Testament, b.abt 1950 BC
      |
Abraham (Abram) of the Old Testament, b.abt 2050 BC
      |
Terah of the Old Testament, b.abt 2120
      |
Nahor of the Old Testament, b.abt 2149 BC
      |
Serug of the Old Testament, b.abt 2179 BC
      |
Reu of the Old Testament, b.abt 2211 BC
      |
Peleg of the Old Testament, b.abt 2241
      |
Eber of the Old Testament, b.abt 2275 BC
      |
Shelah (Salah) of the Old Testament, b.abt 2305 BC
      |
Arphaxad of the Old Testament, b.abt 2343 BC
      |
Shem of the Old Testament, b.abt 2443
      |
Noah of the Old Testament, b.abt 2943 BC

これ以前は書かなくても良いと思います。アダムとイブに行き着くだけですから。
今回はこの系図だけで終わりますが、今後、イスラエル王国に着目して記事を続けます。
このダビデ、ソロモン王の時代に全盛をきわめた処から、千年王国への怨念が始まっていると考える者も、カラスの中には多いのです。

つまり伊勢神宮にダビデ紋=カゴメ紋を祀る理由であり、奥之院でソロモン神殿そのものの儀式を行う根源であると言う事です。

コメント
○○様
私の手元に、伊勢神宮で26歳まで修業をし、突然キリストの啓示を受け教会を設立された方が使っていた、アダム&エバからキリストに至るまでの、畳4枚ほどになる及ぶ系図が在ります。それによるとエドムの系図は、イスラエル=ヤコブの兄エサウから発生しています。エサウの妻の内2人は、ハム系の女性だったようです。この系統にはアマレク、ヘロデなど、イスラエル族(イスラエルの子孫)に非常に憎まれた有名人が居ますね。サウルに油を注いだサムエルが、ダビデに乗り換える原因となった、アマレク人及び家畜の虐殺というヤハウェの命令に背いたサウルを、レビ族サムエルが切り捨てる話は有名ですね?ヘロデ王に関しては、説明の必要はないでしょう。
アダム族という括りで、この種族の系図を見渡すと、転換期となる重要な時期は全て、本来の長子相続が行われていませんね。アダムの子、カイン、アベル、セトの時も・ノアの子、ヤぺテ、ハム、セムの時も・アブラハムの子、ジムラン、イシマエル、イサクの時も・イサクの子、エサウ、イスラエルの時も・イスラエルの子12氏族に関しては勿論・ダビデに至っては、8人の妻と20人の子の名前が記されていますが、勿論ソロモンは長子ではありません。
エドムの系図と同様に、聖書において悪役として名高いのが、モアブ人です。アブラハムの兄弟ハランの子ロトがソドムに在住し、その子がモアブ、ベニヤミン(12氏族とは別)です。モアブの子孫モアブ人がイスラエル人を偶像崇拝と不道徳に導いたとされ、ベニヤミンの子孫はアンモン人となり初代王サウルと争った種族とされています。
ハム系ぺリシテ人(パレスチナ人)にしても、イサクの兄弟イシマエル(アラブ人)にしても、中東問題の縮図を畳4枚に纏めた様な系図です。わざわざ必要がなければ、この様な物は目に入れないのが得策でしょう。人類への信頼感が揺らぐだけです。

2013/11/05(01:29) URL 編集

エドム人について
O'BRIEN 様 名無し先生様、

旧約聖書を基盤としたヨーロッパなどの歴史に深く切り込んでいく記事にとても感銘を受け、いつも拝見させて頂いています。

  エドムはヘブライ語で『ロךX』Edom,『ロך』はdam=赤い、荒野などの意味がありこれはアダムの『ロךX』Adam=人、土と深い関係があるあるような気がします。もう少し詳しくエドム人のことなど、共有できうる範囲で教えて頂けると幸いです。宜しくお願いします。

2013/11/04(08:02) ○○ URL 編集

バビロン捕囚
聖書記述に関し、BC600頃からBC100頃までが飛んでいますね?この辺りがバビロン捕囚(と言っても実質はペルシア国統治下のバビロニア)とエドム人(首都がスサ=スサの王=スサノウ)とヒッタイト人(首都がハットウシャ=八頭蛇=ヤマタノオロチ)が入り乱れる現場で、日本の古典に応用された時期です。後にエズラ書として、書き記される時期で、ペルシア側にイスラエル人が妃を入れ込み、神殿復活の許可を得たり、その後のアレキサンダー、ギリシア、ローマ等に繋がる重要時期なのです。レビ族で、モーセの兄弟アロンの末裔がエズラですから、後のサドカイ派、バリサイ派、エッセネ派等の争いに係わる原因発生の時期です。ちなみにレビ族内でエズラとは別血筋(モーセ、アロンの父=アムラムの兄弟、イズハルの血筋)にサウルやダビデに油を注いだと言われるサムエルが居ます。こちらの血筋はヨエル、エリエル、エルカナ・・・等とエルが付く名が多い様ですね・・・

2013/10/27(01:36) URL 編集
posted by r at 10:03| Comment(0) | ヘッセン