2019年02月28日

モレク(Molech)は古代の中東で崇拝された神の名

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モレク(Molech)は古代の中東で崇拝された神の名。男性神。元来はモロク(Moloch)という。ヘブライ語では מלך (mlk)。元来は「王」の意。また、「涙の国の君主」、「母親の涙と子供達の血に塗れた魔王」とも呼ばれており、人身供犠が行われたことで知られる。

パレスチナにもモレクの祭儀は伝わった。古代イスラエルでは、ヘブライ語で恥を意味するボシェト(bosheth) と同じ母音をあて、モレクと呼ぶのが一般的であった。『レビ記』では石打ちの対象となる大罪のうちに、「モレクに子供を捧げること」が挙げられている[1]。しかしソロモン王は、モレクの崇拝を行ったことが『列王記』に述べられている[2]。ここではモレクは、アンモニ人の神であるアンモンの子らと同義に置かれる。

古代のヨルダン東部に住んでいたアモン人達からは、豊作や利益を守る神として崇拝されており、彼らはブロンズで「玉座に座ったモレクの像」を造り出し、それを生贄の祭壇として使っており、像の内部には7つの生贄を入れる為の棚も設けられていた。そしてその棚には、供物として捧げられる小麦粉、雉鳩、牝羊、牝山羊、子牛、牡牛、そして人間の新生児が入れられ、生きたままの状態で焼き殺しており、新生児はいずれも、王権を継ぐ者の第一子であったとされる。また、生贄の儀式には、シンバルやトランペット、太鼓による凄まじい音が鳴り響き、これは子供の泣き声をかき消す為のものとされている。

モレクへの言及は新約聖書にも見られ、ユダヤ人にとって避けるべき異教の神とみなされたことがわかる。

中世以降、注釈者たちは、モレクをフェニキアの主神であるバアル・ハモンと同一視するようになった。これには古典古代の作家たちが伝えるバアル・ハモンの崇拝が人身供犠を特徴としていたことが大きい。プルタルコスらは、カルタゴではバアル・ハモンのために、人が焼きつくす捧げ物として犠牲にされたことを伝え、この神をクロノスあるいはサートゥルヌスと同一視した。

1921年にオットー・アイスフェルトは、モレクについての新説を発表した。これはカルタゴの発掘調査に基づいており、mlk が「王」の意味でも神の名でもないとする。アイスフェルトの説によれば、この単語は、少なくとも幾つかの場合には人身供犠を含む、ある特定の犠牲の形式を指す語であった。子供をつかんでいる祭司を描いたレリーフが発見された。また祭儀場らしい場所からは、子供の骨が大量に発見された。子供には新生児も含まれていたが、より年齢が上のものもあり、ほぼ6歳を上限とするものであった。アイスフェルトは、旧約聖書の中で語義が不明であった「トフェト」 (tophet)がこの祭儀場を指す語であったと唱えた。

同じような場所は、フェニキア人の植民地があったサルディニア、マルタ、シチリアでも発見された。

アイスフェルトの説は、発表されて以来、幾人かの疑念を除けば、ほぼ支持されてきた。しかし1970年にカルタゴの人身供犠についての見解を修正する説をサバティーノ・モスカティが唱えた。モスカティはカルタゴでの人身供犠が日常的なものではなく、極めて困難なときに限り捧げられたと考えた。この点についての論争は、現在のところ決着を見ておらず、さらなる考古学的証拠の発見が待たれている。
posted by r at 13:41| Comment(0) | 宗教