2018年12月31日

デビッド・デ・ロスチャイルドが来比 米軍の撤退の真実(北軍と南軍)

デビッド・デ・ロスチャイルドが来比

米軍の撤退

米軍と云うと、米国が1枚岩の様ですが、大きく分けて2派に分かれます。

南北戦争で顕著に表れた様に、奴隷解放、脱欧州の北軍派と奴隷維持、親欧州で、敗戦後地下に潜り、コミュニスト化した南軍派です。

この南軍派とフィリピンの関わりが始まったのが、16C正にイエズス会の時代です。
スペインはフィリピンをアジア進出の拠点としました。

1565年にはスペイン領ヌエバ・エスパーニャ副王領(メキシコ)を出航した征服者ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(初代総督)がセブ島を領有したのが始まりです。

そう云えば、現 在日比国大使もロぺスでしたね。

1571年にはマニラ市を植民地首府とし、フィリピン諸島の大部分が征服され、スペインの領土となりました。

これ以降、約250年間、メキシコやペルー、ボリビアから輸入した銀や、東南アジア各地や中国(清)の産物をラテンアメリカに運ぶ拠点としてガレオン貿易が続いたのです。

スペインから見れば、フィリピンと南米はヌエバ・エスパーニャ副王領の一部なのです。

米軍の中の南軍派閥はヌエバ・エスパーニャ副王領側ですから、北軍派閥は出て行ってくれというわけです。
これが、米軍撤退の真実です。だからフィリピン国士側のマルコス渡米と同じ時期になったのです。

結論は、覇権国スペイン由来のイエズス会等から見れば、 未だにヌエバ・エスパーニャ副王領という縄張りが存在し、その上の単位である、フランク王国由来の国際派閥には、ヌエバ・エスパーニャ副王領すら辺境伯領に過ぎず、あわよくば、その他欧州、米国、アジア諸国を、経済、宗教、教育で侵略しようと、意欲満々であるという事です。

2013/04/23(15:07)

3つの世界評議会議

今回示した、日本の皇室を出地とする世界評議会議長のサティフィケーションにはFAR EAST DISTRICT(極東地区)と謳ってあります。パイクがマッツィーニに送った書見にある「3つの世界評議会」の一つと言う事です。米国南軍大将であったパイクに支持を与えてきた勢力は当然分かりますね?

サティフィケーションにはメーソン・ピラミッドが刻印されており、世界評議会はメーソン仕切りである事を明らかにしています。

メーソンと対立軸に置かれていたのがイエズス会で、最上級メンバー以外は、両者のトップが同一である事を知りません。若い内にイエズス会教育を受けるカラス達も、この事実を知るのはコウケダイコロ衆等、一定の役回りに付き、成果を上げた後の一部の人間だけです。日本のヤンゴトナキ方々の間でも、役回りを分けられ、分断統治されている事が分かりますね?

現代に繋がる、この正反合の分岐点を見抜く為には5の課題をクリアーしなければなりません。その後の引率はブログ主様が行ってくれるでしょう。

上述のサティフィケーション等、実証資料を目にしているのが、このブログの管理者な訳ですから、後は皆さんの探究心と心構え次第でしょう。過去には「マヨの本音」の管理者の方にも提示した資料がいくつかあります。彼も真実へのヒントを知る一人です。

2013/10/07(03:03)
種明かし
ユダヤ人であるとカミングアウトしたロスチャイルドがフィリピンに来たのですか?
フィリピンは人口の90%以上がカソリック、中でもイエズス会全盛の国なのに。
ユダヤ教とキリスト教が仲違いしてるのは、お芝居と云う事でしょうか?
経済界はアヤラ財閥や、元メラルコ(フィリピンの東電)オーナー、現 在日比国大使ロペス一族などのスペイン系。
世界のロスチャイルド、イエズス会、スペインと有名処が3者も揃って喧嘩しないのですね。
ネットでは、イギリスを乗っ取ったロスチャイルド、
バチカン・ローマ法王の忠実な武装会派・イエズス会、
大航海時代の覇者、スペイン王国のはずですが・・・

スペイン王国とは、1469年、アラゴン王太子フェルナンド(後のフェルナンド2世)が
カスティーリャ王女イサベル(後のイサベル1世)と結婚し、
1479年にはアラゴン王国とカスティーリャ王国の同君連合が形成され成立した王国です。
ローマ教皇アレクサンデル6世はこの2人を「カトリック両王」と呼んだ。

この一時代前のアラゴン王国は・・・
アラゴン王家はバルセロナ伯家と通婚を重ね、1137年にアラゴン王ラミロ2世の一人娘
ペトロニーラ女王とバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚により、両家の連合が成立した。
2人の間の子アルフォンソ2世以降はバルセロナ家の君主の下に統合された。
こうしてアラゴン連合王国と呼ばれる同君連合が成立した。

バルセロナ伯領とは・・・
801年にカロリング王朝のルイ敬虔王が南フランスからピレネー山脈を越え、
イベリア半島北西部のバルセロナをイスラム教徒から奪回したのが始まりである。
フランク王国のスペイン辺境伯領として成立しバルセロナ伯領(カタルーニャ君主国)となった。

フランク王国とは・・・
カール大帝のもとで最盛期を迎えた。
西ヨーロッパの大半の政治的統一を達成、ライン川以東のゲルマン人のキリスト教化、
古典分化の復興などを進め、"カロリング・ルネッサンス"を行なって
中世以降のヨーロッパ文化発展の基礎を作った。
800年には教皇レオ3世により西ローマ帝国の帝位を戴冠され、西ローマ帝国はフランク王国として復活した。
カール大帝の子ルートウィヒ敬虔王の死後、帝国は3人の子によって相続争いの末に分割され、
それぞれ後のドイツ・フランス・イタリアとなる東フランク・西フランク・ロタリンギアとなった。
フランク族は民族大移動による混乱を収拾し、ヨーロッパの政治的・文化的な統一を果たし、
西ヨーロッパ最初のキリスト教統一国家として、のちのヨーロッパの国家や制度の母胎となった。

イエズス会のNo.1のイグナチオ・デ・ロヨラは、ロヨラ城で生まれ、
1506年に親戚の騎士でカスティーリャ王国の財務官を勤めていた
フアン・ベラスケス・デ・クエラルの従者となった。

イエズス会のNo.3のフランシスコ・デ・ザビエルは、スペインのナバラ州、
パンプローナに近いザビエル城で地方貴族の家に育った。
父は1515年カスティーリャ=アラゴンに併合された、ナバラ王フアン3世の信頼厚い家臣として宰相を務めた。

なるほど、フランク王国はのちのヘッセン州。
つまりロスチャイルドの始祖に最初に金庫番をさせた御主人様ヘッセン方伯の地。
そしてスペイン辺境伯領としてバルセロナ伯領を送り込み、その子分の中に、
イエズス会の立役者2人がいたという事ですね。
そうならそうと世界史の時間に教えておいてくれれば良かったのに。文部省も意地が悪い。

これなら喧嘩に成る訳ないですね。皆さん西ローマ帝国ゆかりの一族みたいな物じゃないですか・・・
ついでにフィリピン版FBI=NBIのNo.1/No.2の名前も、こないだまでアトニ―・アラゴンでしたね。
アジアにおける、スペインの古き良き時代を再びみたいな国が、フィリピンなのですね。
一時とはいえ、こんな大事な植民地を、米国や日本に取られた時は、さぞかし腹がたった事でしょうね・・・
イエズス会もフランク王国流れも米国とは仲良くできる訳ないか・・・
しかし日本とは、ヘッセン公伯=フランク王国=西ローマ帝国その前辺りで繋がるのかな・・・
日本のヤンゴトナキ方々の出自と・・・
それで、戦時中の「ふぐ計画」という話ですね。
北朝鮮の今の動きが「ネオふぐ計画」の一端でない事を願います。
2013/04/22(23:06) gtc URL 編集