2018年11月20日

聖徳太子の石像壊れる

鋸南町の観光名所、鋸山で事件が起きました。

聖徳太子の石像壊れる 20代男女が走って逃げ去る? 千葉・鋸山の日本寺
http://www.sankei.com/affairs/news/150507/afr1505070044-n1.html

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日本寺の聖徳太子の石像(鋸山日本寺のHPより)

7日午後4時半ごろ、千葉県鋸南町の鋸山にある日本寺で、参道脇の聖徳太子の石像(高さ約130センチ)が倒れて壊れているのに男性観光客が気付き、寺関係者が110番した。館山署が器物損壊容疑で調べている。

署によると、男性観光客は、参道脇の柵を乗り越えて石像に近づく男女を目撃。
目を離した後、石像の方から大きな音が聞こえたため再度見ると、男女が境内出口に向かって走り去っていくところだった。石像は台座から落ち、胸から上下二つに折れていた。

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(割れた聖徳太子像)

男性は身長約170センチでサングラス姿女性はピンク色のジャージーを着ていた。ともに20代後半とみられる。町教育委員会によると、参道には聖徳太子などの石像が多数あり、県文化財に指定されている。

聖徳太子の石像@日本寺@鋸山

採取された石材は、幕末から明治、大正、昭和にかけて、主に横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用された。また、靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されている。自然保護規制の強化により昭和57年を最後に採石を終了し、現在鋸山は観光資源として利用されている。

日本寺(にほんじ)は、千葉県安房郡鋸南町にある、曹洞宗の寺院。山号は乾坤山(けんこんざん)。本尊は、薬師瑠璃光如来。大仏(日本寺大仏)があることで知られる。
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基によって神亀2年(725年)に開山されたとされ、当初は法相宗に属していたという。
最盛期には七堂十二院百坊を有する規模を誇り、良弁、空海、円仁らが留錫(りゅうしゃく)したと伝える。良弁は木彫の大黒天を彫り、空海は100日間の護摩を焚き、石造の大黒天を彫り遺し、仁王門の金剛力士像は円仁の作とする伝承がある。
天安年間(857年 - 859年)、円仁が入寺して天台宗の寺院となったと伝え、その後、隆盛と衰退を繰り返したが、復興には源頼朝や足利尊氏の援助を受けたという。
真言宗を経て、江戸幕府三代将軍徳川家光の治世に曹洞宗に改宗した。幕府から朱印状を与えられていた。境内にある五百羅漢像(千五百羅漢)は、江戸時代後期にこの寺を復興した高雅愚伝(当寺第九世)が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものであり、約1,553体の石仏がある[1]。
明治に入り、神仏分離に伴う廃仏毀釈や1939年(昭和14年)の火災などにより、現在残る堂宇は仮本堂をはじめごくわずかとなっている。
1989年(平成元年)5月、インド国政府により、日印親善と世界平和を祈念して、釈尊成道の聖地、ブッダガヤの聖菩提樹(釈迦がこの木の下に坐して悟りを開いたと言われる)の分木が日本寺へ贈られ、大仏広場に植えられている。

インドと日本寺

インド・ブッダガヤの「聖菩提樹」の苗木が贈られ、1989年(平成元年)5月24日、関係者約400人が集まって、植樹記念法要が行われた。
この苗木は、先ごろ同寺を訪れたインド大統領特別補佐官のラーマ・ロブサング大僧正の仲介により、インド政府の特別のはからいで分木されたもので、海外に出るのは初めてと言われている。
また、苗木と一緒にアショーカ寺貫主から インドの国章となっている「四獅子像初転法輪石柱」(レプリカ)も寄贈され、大仏広場脇に建てられた。

この日の法要には、インド側からカイラス・アスラーマ在日大使夫人やラーマ大僧正、また同寺奉讃会の名誉総裁を務める元皇族の梨本徳彦、同理事長の安孫子藤吉元自治相、それに郡内の県議、町村議、地元関係者多数が参列。フェンスの囲いに護られた菩提樹と、その前に建立された石柱及び記念碑の除幕式も行われた。

梨本 徳彦(なしもと のりひこ、1922年(大正11年)11月19日 - 2007年(平成19年)2月7日)は、日本の海軍軍人、皇族、華族。位階は従四位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終階級は海軍大尉。お印は鳳凰[1]。
梨本家(旧梨本宮家)前当主。皇族時代は徳彦王(久邇宮家)といい、臣籍降下後に梨本伊都子(梨本宮守正王妃)の養子となるまでは龍田徳彦という。

1943年(昭和18年)4月2日、勲一等旭日桐花大綬章を受章。同年6月に旧皇室典範増補第1条に基づき、本人の情願により、一時金を賜って臣籍降下し、龍田伯爵家を創設する。これに伴い、貴族院皇族議員を失職した。昭和天皇より賜った「龍田」の家名は、近江国の久邇宮家旧領地にある龍田神社に因んだものとされる。1945年(昭和20年)4月22日に久邇宮朝融王第一女子の正子女王と結婚する。

龍田家
久邇宮多嘉王の三男が臣籍降下し、龍田の家名と伯爵を授けられた。
龍田徳彦
生没年:1922-
父:久邇宮 多嘉王
義父:梨本宮 守正王
1943-1947 伯爵
海軍大尉
妻:正子女王(父:久邇宮 朝融王)
1946- 徳久
1949- 豊子(夫:西坂豊喜)
1952- 鑑代子(夫:菊池健郎)
龍田徳久 
生没年:1946-
父:伯爵 龍田徳彦

妻:室岡文子1952-(父:室岡一)
1980- 吉光


【メーソン側の最高評議会議長で、李王朝と婚姻した日本のヤンゴトナキ血筋の方で、マックアーサーに連れられ、米国高官の家に養子に入った人間が規子女王の子・○○○○】

広橋真光
生没年:1902-1997
父:伯爵 広橋賢光
1910-1947 伯爵
1940 近衛文麿内閣総理大臣秘書官
東条英機内閣総理大臣秘書官
1947 千葉県知事
妻:規子女王(父:梨本宮 守正王)
1929- 樹勢子(夫:中村浩三)
1931- 万僖子(夫:平井忠正)
1933- 興光
1936-1957 万寿子
1937-1938 徳光
1939- 梨本儀光(梨本家へ)

広橋興光 
生没年:1933-
父:伯爵 広橋真光

妻:小美濃静枝1949-(父:小美濃喜平)
1970- 興子
1971- 由子
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広橋家(名家)
藤原頼資
生没年:1182-1236
父:権中納言 藤原兼光
号:四辻、勘解由小路
1225 参議
1226 権中納言
従二位
1235 出家
妻:(父:従五位下 源兼資)
1212-1274 経光
1214-? 頼円(興福寺別当)
1215-1276 世尊寺経朝
?-1280 頼誉(東寺長者)
藤原経光
生没年:1212-1274
父:権中納言 藤原頼資
号:勘解由小路
1218 東宮蔵人
1222 文章得業生
1223 因幡少掾
1223 治部権少輔
1226 従五位上
1226 蔵人
1229 正五位下
1229 東宮権大進
1232-1234 蔵人
1233 右少弁
1233-1234 右衛門権佐
1236 左少弁
1237 権右中弁
1237 従四位下
1238 従四位上
1238 右中弁
1238 右大弁
1238 造東大寺長官
1239 正四位下
1239 阿波権守
1239 蔵人頭
1241 従三位
1241 参議
1241 左大弁
1241 勘解由長官
1243 讃岐権守
1244 正三位
1247-1248 権中納言
1248 従二位
1255 正二位
1260 民部卿
妻:(父:大宰大弐 藤原親実)
1238-1280 兼頼
1244-1308 兼仲
経子
藤原兼仲
生没年:1244-1308
父:権中納言 藤原経光
号:勘解由小路
1259 民部少輔
1284 蔵人
1287 右少弁
1288 左少弁
1289 右中弁
1289 左中弁
1290 右大弁
1290 左大弁
1290 春宮亮
1291 蔵人頭
1292 参議
1293 従三位
1293-1294 権中納言
1294 正三位
1299 従二位
1308 出家
妻:
光資
1287-? 光業
娘(藤原嗣実室)
娘(左衛門佐 藤原氏家室)
藤原光業
生没年:1287-?
父:権中納言 藤原兼仲
1295 文章生
1297 従五位下
1297 宮内少輔
1297 治部権少輔
1298 従五位上
1300 正五位下
1311 右衛門権佐
1312 左衛門権佐
1313 治部大輔
1313-1315 蔵人
1315 右少弁
1316 正五位上
1316 従四位下
1316 左少弁
1317 従四位上
1317-1318 右中弁
1318 正四位下
1318 右宮城使
1319 左近衛中将
1320 近江権守
1320 修理権大夫
1320 蔵人頭
1320-1321 参議
1321 従三位
1330 正三位
1343 従二位
1346 参議
1346-1348 権中納言
1352 出家
妻:
1316-1381 兼綱

藤原兼綱
生没年:1316-1381
父:権中納言 藤原光業
1324 文章得業補
1326 従五位下
1326 治部権少輔
1328 治部権大輔
1330 従五位上
1330 兵部権大輔
1333-1335 近江守
1334-1337 治部少輔
1337 正五位下
1338 春宮権大進
1341 蔵人
1341-1352 東宮学士
1343 相模権介
1346 補五位蔵人
1346 治部少輔
1346 左少弁
1348 従四位下
1348 右中弁
1349 補氏別当
1349 従四位上
1350 左中弁
1350-1351 右大弁
1350 正四位下
1351 蔵人頭
1352 大蔵卿
1353 正四位上
1355 参議
1355 左大弁
1356 従三位
1356 阿波守
1356 造東大寺長官
1358-1359 権中納言
1363 正三位
1367 従二位
1373 正二位
1375-1376 権大納言
1376 按察使
1379 従一位
1381 准大臣
1381 出家
贈左大臣
妻:
忠業
1342-1406 広橋仲光
1339-1427 (養子)崇賢門院 准三宮 仲子(後光厳天皇典侍、父:紀通清)
広橋仲光
生没年:1342-1406
父:准大臣 藤原兼綱
号:勘解由小路
1358 従五位下
1359 従五位上
1359 治部少輔
1360-1369 蔵人
1363 正五位下
1363 右少弁
1366 正五位上
1366 左少弁
1370 蔵人
1374 権右中弁
1374 左中弁
1374 従四位下
1374 従四位上
1374 正四位下
1376 蔵人頭
1377 正四位上
1378 従三位
1378 参議
1378 権中納言
1381 正三位
1381 従二位
1381 大宰権帥
1386 正二位
1388-1395 権大納言
1396 従一位
1396 出家
南都伝奏
妻:
1366-1429 兼宣
?-1447 竹屋兼俊(竹屋家へ)
兼子
広橋兼宣
生没年:1366-1429
父:権大納言 広橋仲光
号:後瑞雲院
1370 従五位下
1370 治部権少輔
従五位上
正五位下
右兵衛佐
1383 蔵人
1383 侍従
1385 正五位上
1388 右少弁
1388 左少弁
1388-1390 文章博士
1390 右中弁
1393 従四位下
1393 従四位上
1394 正四位下
1394 蔵人頭
1394 左中弁
1395 正四位上
1395 右大弁
1397 左大弁
1400 参議
1400 造東大寺長官
1401 権中納言
1401 従三位
1401 武家伝奏
1402 正三位
1405 従二位
1405-1408 左兵衛督
1407 検非違使別当
1408-1410 大宰権帥
1410 正二位
1410 権大納言
1423 従一位
1423-1425 大納言
1425 准大臣
1425 出家
贈内大臣
妻:
1401-1446 兼郷
定光
従四位下 大納言典侍 綱子(後花園院乳母)
娘(太政大臣 西園寺公名室)
1392-1420 (養子)資光
1396-1457 (猶子)存如
広橋資光 
生没年:1392-1420
父:右衛門督 竹屋兼俊
義父:准大臣 広橋兼宣
蔵人頭
右大弁
山城権守
正四位上
1416 参議
1418 従三位
1419 権中納言
妻:
広橋兼郷
生没年:1401-1446
父:准大臣 広橋兼宣
初名:宣光、親光
1409 文章生
1410 従五位下
1411 治部少輔
1412 侍従
1415 右衛門権佐
1416 左衛門権佐
1416 従五位上
1417 正五位下
1418-1422 蔵人
1419 権右少弁
1419 正五位上
1420 左少弁
1421 右中弁
1422 従四位下
1422 従四位上
1423 蔵人頭
1424 左中弁
1424 正四位上
1425 参議
1428 従三位
1428-1445 権中納言
1432 院執権
1441 正三位
1445 従二位
妻:豊子女王(父:神祇伯 資忠王)
-1432 日野春龍丸(義父:権大納言 日野家秀)
1431-1477 綱光
兼雅
兼円
大納言典侍 顕子(後土御門院乳母)
1438-1470 娘(権大納言 万里小路冬房室)
従三位 兼子(関白 二条政嗣室)
1415-1499 (猶子)蓮如
広橋綱光
生没年:1431-1477
父:権中納言 広橋兼郷
号:引接院
1445 従五位下
1445 治部少輔
1446 侍従
1447 右兵衛権佐
1447 従五位上
1448 正五位下
1448-1453 蔵人
1449 正五位上
1450 右少弁
1450 左少弁
1452 右中弁
1453 従四位下
1453 従四位上
1453 正四位下
1453 左中弁
1453 右大弁
1453 左宮城使
1453 蔵人頭
1454 正四位上
1454 参議
1455 従三位
1455 左大弁
1455 越中権守
1455 造東大寺長官
1456-1458 権中納言
1456 正三位
1456-1458 検非違使別当
1456-1458 右兵衛督
1458-1467 権中納言
1465 従二位
1467-1477 武家伝奏
1470 権大納言
1473 正二位
1477 従一位
1477 准大臣
贈内大臣
妻:(父:中山満親)
1449-1479 兼顕
1465-1529 従三位 大納言典侍 守子(後柏原院乳母)
1467-1517 娘(准大臣 広橋守光室、義父:権中納言 広橋兼顕)
(養子)娘(権大納言 飛鳥井雅俊、父:八幡検校享清法印)
広橋兼顕
生没年:1449-1479
父:准大臣 広橋綱光
1455 従五位下
1463 治部大輔
1463 従五位上
1464 右兵衛佐
1464 正五位下
1466-1467 左衛門権佐
1466 蔵人
1467 正五位上
1467 右少弁
1467 左少弁
1469 権右中弁
1471 右中弁
1474 従四位下
1474 従四位上
1474 正四位下
1475 左中弁
1475 修理左宮城使
1475 蔵人頭
1476 正四位上
1477 右大弁
1477 参議
1477-1478 武家伝奏
1479 従三位
1479 権中納言
妻:
1471-1526 (養子)守光
1474-1553 (養子)兼継
(養子)兼親
(養子)娘(准大臣 広橋守光室、父:准大臣 広橋綱光)
広橋守光
生没年:1471-1526
父:権大納言 町広光、母:権中納言 園基有
義父:権中納言 広橋兼顕
号:是称院
1479 従五位下
1479 治部少輔
1483 侍従
1486 従五位上
1486 右衛門権佐
1487 右衛門佐
1488 蔵人
1488 正五位下
1489 右少弁
1490 権左中弁
1492 正五位上
1495 右中弁
1496 従四位下
1496 従四位上
1496 蔵人頭
1499 正四位下
1499 左中弁
1500 正四位上
1505 右大弁
1505 左大弁
1505 従三位
1505 参議
1508 正三位
1509-1525 武家伝奏
1509-1518 権中納言
1513-1516 神宮伝奏
1518-1526 権大納言
1524 正二位
1526 従一位
1526 准大臣
1538 贈内大臣
妻:(父:准大臣 広橋綱光、義父:権中納言 広橋兼顕)
1497-1517 娘
1503-1516 娘
1506-1567 兼秀
(養子)具子(後奈良院大納言典侍、父:参議 水無瀬季兼)
妻:(父:法印兼寿)
貞雅
広橋兼秀
生没年:1506-1567
父:准大臣 広橋守光
号:如雲
1510 従五位下
1517 侍従
1517 従五位上
1521 正五位下
1521 正五位上
1521 蔵人
1522 右少弁
1524 権左少弁
1525 右中弁
1525-1533 氏院別当
1526-1549 武家伝奏
1529 左中弁
1529 造興福寺長官
1529 従四位下
1529 従四位上
1529 正四位下
1530 修理左宮城使
1530 蔵人頭
1530 正四位上
1535 従三位
1535 右大弁
1535 参議
1536 権中納言
1537 正三位
1539-1541 神宮伝奏
1540 従二位
1542-1546 権大納言
1544-1546 賀茂伝奏
1544 正二位
1546 兵部卿
1546 権大納言
1547-1548 賀茂伝奏
1551 従一位
1553-1554 大納言
1557 内大臣
妻:(父:権中納言 勧修寺政顕)
1524-1557 従三位 国子(後奈良天皇権典侍)
1526-1568 国光
桂玉
妻:(父:法印源承)
娘(権大納言 庭田重保室)
保子(関白 一条兼冬室)
光得院 理広(義父:大内義隆、細川藤賢妾)
(養子)兼子(父:小槻伊治、大内義隆室)
(養子)兼真(父:権大納言 冷泉為和)
広橋国光
生没年:1526-1568
父:内大臣 広橋兼秀
号:後引接院
1528 従五位下
1535 従五位上
1535 治部権少輔
1536 侍従
1537 正五位下
1537 右少弁
1538 左少弁
1538 正五位上
1539 権右中弁
1541 蔵人
1542 右中弁
1543 左中弁
1543 造興福寺長官
1543 修理宮城使
1544 近江権介
1545 従四位下
1545 従四位上
1545 正四位下
1545 蔵人頭
1548 右大弁
1548 従三位
1548 権中納言
1549-1568 武家伝奏
1552 従二位
1553-1567 権大納言
1559 正二位
1617 贈内大臣
妻:(父:権大納言 高倉永家)
1555-1623 日野輝資(日野家へ)
1558-1623 兼勝
日禎
妻:(父:准大臣 烏丸光康)
広橋兼勝
生没年:1558-1623
父:権大納言 広橋国光
号:後是称院
1562 従五位上
1562 侍従
1565 正五位下
1569 右少弁
1573 権左少弁
1574 左少弁
1576 正五位上
1577 右中弁
1577 蔵人頭
1577 従四位下
1577 従四位上
1577 正四位下
1578 正四位上
1580 左大弁
1580 従三位
1580 参議
1582 権中納言
1583 正三位
1586 従二位
1597 権大納言
1598 正二位
1600-1623 武家伝奏
1615-1619 賀茂伝奏
1618-1619 内大臣
1620 従一位
妻:(父:准大臣 烏丸光康)
1580-1629 総光
宝慈院(三浦監物妾)
1595-1655 油小路隆基(油小路家へ)
1606-1662 鷲尾隆量(鷲尾家へ)
娘(内大臣 中院通村室)
恵聖院
娘(参議 裏辻季福室)
娘(参議 樋口信孝室)
娘(左近衛中将 松木宗保室)
広橋総光
生没年:1580-1629
父:内大臣 広橋兼勝
1584 従五位上
1584 侍従
1587 正五位下
1596 権右少弁
1596 蔵人
1598 正五位上
1599 左少弁
1601 右中弁
1601 造興福寺長官
1604 左中弁
1604 蔵人頭
1604 従四位下
1604 従四位上
1604 正四位下
1605 正四位上
1609 右大弁
1609 参議
1611 従三位
1612 権中納言
1613 正三位
1618 権大納言
1619 従二位
1620 正二位
1625 踏歌内弁
妻:(父:杉若越後守)
1595-1669 兼賢
1596-1659 竹屋光長(竹屋家へ)
1605-1635 日野西総盛(日野西家へ)
1609-1684 西大路隆郷(西大路家へ)
1616-1644 日野西光氏(日野西家へ)
娘(権大納言 東坊城長維室)
広橋兼賢
生没年:1595-1669
父:権大納言 広橋総光
号:後如雲院
1597 従五位下
1602 侍従
1604 従五位上
1609 正五位下
1609 権右中弁
1611 蔵人
1612 正五位上
1612 右中弁
1613 従四位下
1613 従四位上
1613 正四位下
1614 正四位上
1614 蔵人頭
1614 左中弁
1615 右大弁
1619 左大弁
1619 参議
1620 従三位
1621 権中納言
1624 正三位
1628 従二位
1633-1647 権大納言
1637 正二位
1637 踏歌内弁
1660 従一位
1661 准大臣
妻:(父:右近衛少将 正親町季康)
1616-1654 綏光
妻:家女房
1649-1660 慈統(錦織寺へ)
1653-1710 日野西国豊(日野西家へ)
1662-1725 竹屋光忠(竹屋家へ)
-1658 慶寿院 道姫(越前福井藩初代藩主 松平忠昌室)
-1676 順誓院 幸子(東本願寺十四代法主 琢如室)
1627-? 実定(父:権大納言 滋野井季吉)
(養子)兼尊(父:左兵衛督 土御門泰重)
広橋綏光
生没年:1616-1654
父:准大臣 広橋兼賢
1617 従五位下
1620 従五位上
1620 侍従
1624-1629 中宮権大進
1627 正五位下
1631 権右少弁
1632 蔵人
1633 正五位上
1633 右少弁
1635 左少弁
1637 右中弁
1639 従四位下
1639 従四位上
1639 正四位下
1641 左中弁
1642 右大弁
1642 蔵人頭
1642 神宮奉行
1642 正四位上
1643-1647 参議
1643-1644 左大弁
1643 従三位
1648 正三位
1650 権中納言
1651 踏歌外弁
1653 賀茂伝奏
妻:(父:侍従 三条西公勝)
1636-1687 兼茂
綏尚
1643-1699 貞光
1647-1687 西大路隆平(西大路家へ)
広橋兼茂
生没年:1636-1687
父:権中納言 広橋綏光
正四位上
右大弁
妻:
1643-1699 (養子)貞光

広橋貞光
生没年:1643-1699
父:権中納言 広橋綏光
義父:左衛門権佐 日野西光氏
義父:右大弁 広橋兼茂
初名:国宣
1649 従五位下
1649-1653 日野西国宣
1653 従五位上
1653 侍従
1653 広橋国宣
1657 権右少弁
1658 正四位下
1658 右少弁
1659 左少弁
1660 蔵人
1660 広橋貞光
1660 正五位上
1662 右中弁
1662 従四位下
1663 蔵人頭
1664 左中弁
1664 従四位上
1664 正四位下
1664 正四位上
1666 参議
1673 従三位
1675 正三位
1677-1681 権中納言
妻:
1678-1724 兼廉
1681-1732 西大路隆業(西大路家へ)
娘(内大臣 松木宗顕室)
娘(権中納言 六条有藤室)
広橋兼廉
生没年:1678-1724
父:権中納言 広橋貞光
1690 従五位下
1692 従五位上
1692 侍従
1693 権右少弁
1694 右少弁
1694 蔵人
1695 正五位下
1695 正五位上
1697 左少弁
1699 右中弁
1671 左中弁
1673 蔵人頭
1673 従四位下
1704 従四位上
1704 正四位下
1704 正四位上
1704 右大弁
1705 左大弁
1706 従三位
1706 参議
1711 正三位
1711 権中納言
1716 従二位
1719-1724 権大納言
1721 踏歌続内弁
1723-1724 踏歌外弁
妻:(父:丹波亀山藩二代藩主 松平忠昭)
1700-1715 兼頼

妻:家女房
1720-1780 久世栄通(久世家へ)

娘(兵部少輔 本多忠篤室)
娘(榊原長良室)
娘(兵部少輔 本多忠篤室)
広橋兼頼
生没年:1700-1715
父:権大納言 広橋兼廉
正五位下
侍従
妻:(父:信濃上田藩初代藩主 松平忠周)
1715-1781 勝胤

広橋勝胤
生没年:1715-1781
父:侍従 広橋兼頼
号:恭徳院
初名:兼胤
1717 従五位下
1720 従五位上
1720 侍従
1724 正五位下
1730 右少弁
1732 左少弁
1732 蔵人
1732-1735 氏院別当
1732 正五位上
1734 権左中弁
1734-1735 神宮弁
1735 春宮権大進
1735 蔵人頭
1735 従四位下
1735 従四位上
1735 正四位下
1736 正四位上
1737 左中弁
1738 左大弁
1738 丹波権守
1738 従三位
1738 参議
1739 権中納言
1741 正三位
1741-1743 賀茂伝奏
1742 大宰権帥
1745 従二位
1748 踏歌外弁
1749-1755 権大納言
1750-1766 武家伝奏
1751 正二位
1758-1759 権大納言
1759 兵部卿
1760-1775 権大納言
1775 従一位
1776 准大臣
議奏
妻:(父:四代尾張犬山城主 成瀬正幸)
1745-1823 伊光
1747-1791 東坊城益良(東坊城家へ)
賢子(権大納言 綾小路俊資室)
-1756 喜子(権大納言 日野資枝室)
娘(権大納言 烏丸光祖および左近衛少将 藪季庸室)
妻:家女房
綱子
妻:(父:内大臣 烏丸光栄)
(養子)娘(父:信濃上田藩二代藩主 松平忠愛)
広橋伊光
生没年:1745-1823
父:准大臣 広橋勝胤
1746 従五位下
1754 従五位上
1754 侍従
1756 正五位下
1758 右少弁
1758 左少弁
1758 蔵人
1758-1761 御祈奉行
1758-1766 氏院別当
1758 正五位上
1759 賀茂奉行
1759 神宮弁
1761 右衛門権佐
1761 検非違使
1762 造興福寺長官
1762 権左中弁
1762 左中弁
1765 従四位下
1765 従四位上
1765 正四位下
1765 蔵人頭
1766 正四位上
1768 右大弁
1768 左大弁
1768 参議
1769 従三位
1769 権中納言
1772 正三位
1772 踏歌外弁
1775 従二位
1775-1784 権大納言
1777 正二位
1777-1781 賀茂伝奏
1801-1802 権大納言
1812 従一位
1813 准大臣
妻:代々姫(父:筑前福岡藩六代藩主 黒田継高)

1770-1832 胤定
娘(権大納言 五条為徳室)
延千代
梅仙院 光子(中宮上臈)
1781-1837 竹屋光棣(竹屋家へ)
妻:(父:参議 堀河康実)
1785-1835 交野時雍(交野家へ)
1791-1796 七条信敬(七条家へ)
娘(右近衛権中将 冷泉為起)
1797-1816 竹屋俊康(竹屋家へ)
1798-1874 (養子)南光度(南家へ)
広橋胤定
生没年:1770-1832
父:准大臣 広橋伊光
初名:兼陳、勝陳
1774 従五位下
1775 侍従
1776 従五位上
1778 正五位下
1783 右少弁
1783 皇后宮権大進
1785 蔵人
1785 賀茂奉行
1785-1786 御祈奉行
1785 正五位上
1786 権右中弁
1787-1788 氏院別当
1789 左衛門権佐
1792 左中弁
1792 蔵人頭
1792 従四位下
1792 従四位上
1792 正四位下
1793 正四位上
1794 中宮亮
1796 右大弁
1796 左大弁
1796 従三位
1796 参議
1797 踏歌外弁
1797 権中納言
1798 正三位
1798 賀茂伝奏
1802 従二位
1802 左衛門督
1802-1813 検非違使別当
1803-1813 権大納言
1803 院執権
1805 正二位
1819 従一位
妻:葉室熙子(父:権大納言 葉室頼熙)
1790-1794 道光
胤子(本徳寺浄行院朗慧室)
定子(権中納言 持明院基延室)
1797-1862 光成
妻:家女房
鷹丸
妻:(父:伊勢神宮祭主 藤波寛忠)
陳子(権大納言 正親町実徳室)
1808-1862 勘解由小路光宙(勘解由小路家へ)
1811-1883 竹屋光有(竹屋家へ)
-1882 麗仙(権大納言 四辻公績室)
1815-1878 日野資宗(日野家へ)
1818-1861 交野時晃(交野家へ)
妻:家女房
1819-1894 孝子 八百子(権中納言 野宮定功室)
静子
広橋光成
生没年:1797-1862
父:権大納言 広橋胤定
1798 従五位下
1802 従五位上
1805-1810 侍従
1805 正五位下
1810-1811 中宮権大進
1810 右少弁
1811 左少弁
1814 蔵人
1814 氏院別当
1814 正五位上
1815-1817 中宮大進
1815 左兵衛権佐
1815 賀茂奉行
1815 権右中弁
1815-1817 造興福寺長官
1816-1823 神宮弁
1817 右中弁
1819 蔵人頭
1819 従四位下
1819 従四位上
1819 正四位下
1820 正四位上
1822 左中弁
1822 皇太后宮亮
1824 右大弁
1824 左大弁
1824 従三位
1824 参議
1826 正三位
1828 権中納言
1829 従二位
1829-1831 右衛門督
1829-1831 検非違使別当
1831 院別当
1832 正二位
1835 踏歌外弁
1842-1846 賀茂伝奏
1845-1852 権大納言
1852 踏歌内弁
1857-1862 武家伝奏
1858 権大納言
1860 従一位
1862 准大臣
議奏
妻:家女房
成子(金沢専光寺達成室)
-1828 義子(参議 五条為定室)
藤小路(安養寺覚了室、義父:権大納言 久世通理)
1819-1876 胤保
妻:久世理子(父:権大納言 久世通理)
常丸
康子(権大納言 葉室長順室)
1825-1903 富子、婦美子(千家尊澄室)
1828-1905 善海(吉野鳳閣寺大僧正)
千枝丸
妻:(父:権大納言 飛鳥井雅光)
1831-1894 得子 静子(民部卿 土御門晴雄室)
1843-1934 千鶴(高倉永祜および三条西公允および大在芳達室)
広橋胤保
生没年:1819-1876
父:准大臣 広橋光成
1820 従五位下
1824 従五位上
1826 正五位上
1833 侍従
1840-1846 春宮権大進
1847 皇太后宮権大進
1847 蔵人
1847 右少弁
1847 正五位上
1848 左少弁
1848-1850 御祈奉行
1848-1850 氏院別当
1851 権右中弁
1852 右中弁
1853 蔵人頭
1853 従四位下
1853 従四位上
1853 正四位下
1854 正四位上
1854-1855 賀茂奉行
1856 神宮弁
1857 右大弁
1857 左大弁
1857 造興福寺長官
1859 従三位
1859 参議
1860 踏歌外弁
1861 正三位
1863-1865 右衛門督
1863-1865 検非違使別当
1863 従二位
1863 議奏
1864 権中納言
1865 正二位
1865-1868 権大納言
妻:豊(家女房)
1852-1869 胤光
1853-1936 茂子、聖海(光照院門跡、恵聖院住職)
保子(金刀比羅宮宮司琴陵宥常室)
1855-1910 賢光
妻:米(家女房)
1853-1926 藤波言忠(藤波家へ)
1855-1941 栄子(夫:南岩倉具義および侯爵 鍋島直大)
1858-1911 幾子(夫:侯爵 松平茂昭)
利子
1866-1934 (養子)南光利(南家へ)
-1872 (養子)文子(父:伊勢神宮祭主 藤波教忠、夫:子爵 藤波言忠)
(養子)恭子(父:伊勢神宮祭主 藤波教忠、夫:子爵 藤波言忠および大巌蟄竜)
広橋賢光
生没年:1855-1910
父:権大納言 広橋胤保
内閣記録局長
帝室制度御用掛
1884-1910 伯爵
1890 貴族院議員
妻:牧野きく-1925(父:牧野善次郎)
1902-1997 真光
-1900 代々子
1901-1921 知子
1905-1936 幸子、聖瑞(光照院門跡)
1907-1959 寿子(夫:松平康邦)
1910-1989 博光(妻:朽木乙女1915-1989)
広橋真光
生没年:1902-1997
父:伯爵 広橋賢光
1910-1947 伯爵
1940 近衛文麿内閣総理大臣秘書官
東条英機内閣総理大臣秘書官
1947 千葉県知事
妻:規子女王(父:梨本宮 守正王)
1929- 樹勢子(夫:中村浩三)
1931- 万僖子(夫:平井忠正)
1933- 興光
1936-1957 万寿子
1937-1938 徳光
1939- 梨本儀光(梨本家へ)
広橋興光 
生没年:1933-
父:伯爵 広橋真光

妻:小美濃静枝1949-(父:小美濃喜平)
1970- 興子
1971- 由子
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